中学時代、校庭が天国になった数分間

ふと思い出した。

中学時代に、1年に1回だけものすごく大好きな瞬間があった。


私は運動が苦手で、体育の授業、体育祭、マラソン大会など、

死ぬほど嫌で嫌で、本気で運動が嫌いだったけど、


あの中学時代の、天国のような時間だけは忘れられなくて、

今日ふと思い出した。



毎年体育祭の日に、

全校生徒が校庭に出て、3年生の体育委員の部長さんが、

前に出てきてステージに上がって、全員で準備運動(ストレッチ体操)をするんだけど、


その準備体操の数分間、ビートルズの『Hey Jude』が

グランドに爆音で響き渡って、その音楽と空気と青空があまりにも素敵すぎて、

もーーーのすごーく好きだった。

多分、野外ライブってこんな感じなんだろうなー。


今でも忘れられないくらい、本当に好きな時間だった。

あんなに死ぬほど嫌な体育祭だったけど。



最近、音楽にはやっぱり不思議な力がある。と感じていて、

それは歌詞とか、意味は関係なくて、

音楽(メロディ)の波動とか周波数みたいなものに何かがあって、

それが、心のどこかに刺さる感じなんだろうな。と思っている。



そしてやっぱり、ビートルズって、

これだけ全世界でヒットする伝説的なミュージシャンっていうのは、

やっぱりその音楽に特別なパワーがあるって証拠なんだろうな。


心に響く音楽というのは、

うまく演奏する技術でもなく、

アイドルのようなルックスでもなく、


ずば抜けた才能とか天性とか、

人生経験とか、運とか、


色んな要素があると思うけど、


何か、神様から

「このメッセージを、この時代の地球の人達に教えて、広めて下さい。」

って、力を授けられて、

それを使命のようにして音楽にして、命を全うするような人が、

伝説になる人には多い気がする。


誰よりも心が綺麗で、その心の声に従える素直な人。

そのためには、自分自身でたくさんの苦悩を経験しないと深みが伝わらないから、

自ずと試練が与えられる。

(でも、今の時代には、苦労を美徳とする価値観は終わったかも。)



ついでにふと思い出した。


自分は小学校からピアノを習っていて、

中学校では、コーラスコンクールが年に1回あって、

各クラスで課題曲と、自由曲の2曲。

ピアノの伴奏者が1人か2人。


中学1年の時、

伴奏者を決める時、このクラスでピアノ弾ける人〜?

ってなった時、手を挙げたのが3人で、


私は喜んで、ピアノの伴奏を引き受けたんだけど、


ウチの両親は、普通の家庭なら褒められるようなことだと思うけど、

母親に、

そうやって目立つようなことはしたらあかん。

そういう人が一番嫌われる。


ってなぜか怒られてしまい、


音楽をやっている人なら誰でも、こうやって披露して演奏するのが

ものすごく憧れてワクワクすることだと思うけど、


私は中学1年でこんな風に怒られ、

それ以降、中学2年の時も3年の時も、ピアノの伴奏はせず、


1人の子が2曲とも担当して、

それがとんでもない難しい曲で、

コーラスコンクールが終わった時の挨拶で、

自分だけあまりにも練習とプレッシャーが大変だったと号泣していた。



父親も、

「能ある鷹は爪を隠す」

っていうのを何度も何度も言っていて、


子供の頃から自分たち兄弟と親戚は、

とあるスポーツで毎年、地元の大会では負けなしで表彰台に上がっていたけど、


弟といとこは、県内ではライバルがいなくて、

中学3年間、1年の時から、年上の3年生を全部ぶち抜いて、

3年間県内1位で全国大会に行っていたけど、


両親は、優勝しても全く褒めることがなく、

弟が優勝するのは当然のことで、

逆に、

優勝することよりも、天狗にならん人間になることの方がスゴイことやぞ。

絶対に天狗になるなよ。


才能がある人ほど、能力を隠して自慢せんのやで。

絶対自慢したらあかんで。

能ある鷹は爪を隠す。


と弟が優勝するたびに、いつも怒るように言っていた。



今になって思う。

明治維新の吉田松陰先生の教えにもあるけど、

短い人生には短いなりの春夏秋冬がある。って感じの言葉があった気がするけど、


弟の人生はまさにそれで、

太く短い人生だったなぁ。


浅田真央ちゃん並みに、大会ルールの変更が検討されるぐらい、強かった。

保育園の時から、とんでもない才能を発揮していたので、

「小学生の部」で、大会に出させてあげようという検討があって、

たしか、その時は、順位に入れないけど特別参加ということで、

保育園の時から、大会の小学生の部で参加させてもらっていた。



大谷翔平選手の活躍と人間性を見て、

きっと、うちの両親と同じように、

「絶対に天狗になるなよ」と口酸っぱく教育されていたんだろうな。

という気がするけど、どうなんだろうな。


だけど、私は、中学校のとき、

コーラスコンクールでピアノが弾きたかったなぁ。という後悔が今でもあり、

もし自分が親なら、あの時あんな言葉は使いたくないなぁ。

やりたいことを思いっきりやらせてあげたいなぁ。


とぼんやり思い出した今日でした。

なんだか変な日記でごめんなさい・・・。

タイトルとURLをコピーしました