手のひらに現れた謎の漢字。

今日お風呂上がりに、化粧水をつけようとして、

手のひらにトローンと垂らしたところ、


記憶にない、なんか謎のお経のような文字が

手に浮かび上がっていて、本気でビックリした。

これ私の手。

よーく見ると、漢字が反転している。

月・澄、、、如。鏡??



あ!!

宮本武蔵の言葉。

『寒流帯月澄如月』

(読み方:寒流月ヲ帯ビテ澄ムコト鏡ノ如シ)


無敵と言われた、二刀流を編み出した最強の剣豪で

『寒流帯月澄如月』は宮本武蔵の使っていた刀にも書かれていて、

戦いの時の心得だそう。


昔から、この言葉は好きだったんだけど、

最近、そうだ!!この苦行を乗り越えて生きる秘訣はこれだ。

とふと思って、


ノートに書いていたようです。

あんまり覚えてなくて、無意識に落書きのように書いていた。


それできっと、ノートに手のひらをついて

その時に文字が手に写ってしまったんだろうけど、


周りにもたくさんビッシリ文字が書いてあるノートで

何でこの漢字だけドンピシャで手に写されたのか不思議。


最近心に荒波が立っている自分にとって、

何か見えない存在が、こうやって伝えてくれたんだ。

と思って、何だか感激した。




実はここ半年以上、給料の未払いが続いていて、

昨年の9月から何度か連絡はして、

年末にさすがにお詫びの電話がかかってきたにも関わらず、

まだ振り込みがされなくて、


ちょっとしたミスだけど、さすがに期間が長すぎて

金額が大きすぎるから、一括は難しいだろうし

まぁ、波風立てずに静かに気長に待とう。

と毎日自分に言い聞かせてきたけど、


貯金がそんなに多くないから、このまま支払われなかったらどうしよう。

という心配や、

毎日株価をチェックをしていて、相場に参加したいけど

あーそうだ、お金ないんだった。


ウェブデザインの勉強をしよう。と思ってスクールなどを検索して、

あー、お金がないんだった。

と生活や行動に支障が出るようになってしまって、


寝る前と朝起きてすぐ、

ずっとお金の心配をしなければならない日々になってしまった。

お金の不安はホントにきつい。

命に関わることだからね、、、。実家暮らしじゃないし。


さすがに仕事を変えた方がいいかと思い、

求人サイトを眺めたり。


心がずっとモヤモヤしていた

ちょうどその時に、手のひらにこの漢字が現れた。

『寒流帯月澄如月』


そうだ。心を静かにしよう。


最近気づいたんです。


何か楽しい未来を想像して、そんでなるべくリアルに想像して、

たくさんやりたいことや夢をノートに書いて、

心がワクワクするような生き方というのが

一番理想なんだと思っていたけど、



たぶん、そうやって未来に何かを期待するから、

毎日が辛かったんだ。



『理想』と『現実』の折れ線グラフを描いて、

たぶん、これが近ければ近い方が『幸せ、満足感』なんだ。


”高ければ高い方が” じゃない。

近ければ近い方がいいんだ。高さは関係ない。


理想を思いっきり下げればいいんだ。

家がある、ご飯が食べれる。

健康まで望むのはおこがましいのかな。

理想を最低水準に下げる。

よし、これで理想と現実とのギャップがない。今は完璧で、別に望むものはない。

・・・・これだーーー!!!

楽に生きる秘訣はこれだったんだ。


と気づき、


いつもはノートに

やりたいことや夢などをいっぱい書いていたけど、

今は書きそうになっても、あ、と思い出して手を止める。

もう夢を何も書かないことにした。

希望は失望に変わる。

希望も期待もしないし、心配や不安もやめることにした。

例えば、自然災害やセンソーや、感染症や失業で

命に危険があったとき。

まぁ、一番はお金の心配だけど、

生かされる必要があれば生かされる。

寿命がきたら終わる。

運命というのはある程度決まっていて、

ジタバタしても無駄なんだと思う。

感情の無駄遣いをせず、ただただ静かに無で現実を受け入れる。




それから、今までは

辛い時とか

『神様助けてください。神様お願いします。』

って祈るような時がたくさんあって、


祈りの力というのは、

きっと通じると信じていました。

私は日記によく書いていました。助けてとか、どうかお願いします。とか。

でも、これもやめることにした。


神様はいない。

祈っても頼んでも、助けてくれない。


そう。誰かや何かに期待するから、失望や絶望していたんだ。

人生が苦しかった理由がこれなんだ。


未来、将来、に何かを期待しない。

周りの誰かに期待しない。親や家族に自分の理想像を要求しない。


他人にも未来にも、何が起ころうとも感情を上げ下げしない。

ただただ、辛い毎日を静かに淡々とやり過ごす。


人間に食べられるために飼育されている牛や豚や鶏、魚。

どんなに未来に希望を抱いても、必死で現実に抵抗しても

無駄な努力であって、


それと同じように、

自分のような一般人も、ある程度奴隷のような労働の人生からは

逃れられない運命であり、

ジタバタ考えても無駄なので、

将来に期待もせず、ただただ心を静かにして、

今日やらなければいけない仕事を、淡々とロボットのようにこなす。


そこにお金が増えた、嬉しい、減った悲しい。

体調を崩した、悲しい。

などの感情の波をつけずに、

ゼロ地点でなるべく直線にすればいいんだ。

なるべく無の感情で生きる。



悪く言えば、

・もうどうでもいい。

・全部諦める。

・期待しない。

・夢や理想を持たない。

・祈っても願っても無駄。

・感情をなくしてロボットのように生きる。

ということだけど、


これが楽に生き延びる秘訣なんじゃないかと気づいた、

今日この頃。


決して、マイナス思考ということではないです。

ポジティブが良い、マイナス思考が悪い。

その考え自体がもう古くて、


どっちでもいい。どうでもいい。

だだ現実を無感情で受け入れるしかない。

ということで、


最近は、前より少し気楽に生きれるようになった。


休日にゴロゴロ過ごすのは、いつもいつも罪悪感があって、

常に何か勉強しなきゃ、努力しなきゃ。

こんなダラダラしてたらダメだ。


と自分に厳しくするクセがついていたけど、

やっとこさ、罪悪感なしで休日に思いっきりゴロゴロできるようになった。

ゴロゴロする同じ休日でも、

・ゆっくりできて幸せだなー。ゆっくり休めた!と思うのと

・また勉強も運動もせず無駄な1日を過ごしてしまった。

やばい。情けない。ダメな自分。


と思うのは、同じ行動なのに全然違う感じ。


こんな風に今までの価値観をガラッと変えていっているんだけど、

この考えが正しいとか悪いとかもなくて、

でも、この気づきはもしかしたら、

年齢を重ねて、精神が成長していく過程で気づいていくプロセスなのかもなぁ。

確か、ザ・シフトという本にもこんなようなことが書いてあったような・・・。

眠すぎて、誤字脱字だらけかもしれない。

寝よっと・・・。

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