目の前で色んな出来事があって、
全てのことは自分の受け取り方の問題。
外側(世界や他人)は自分で変えられないから、
自分の心を変えることが大事。
と、今まで思っていたけど、
あ、もしかしたら、何かちょっと違うかも。
と思った。
自分自身は、もうカンペキな人間で、
今自分にやれることは全部やっていて、
自分はもうここから動かない。動く必要がない。
変わる必要、変えよう、変わろう、
変わりたい、と思う必要全くなし!!
それで、
自分は変わらない。逆に、「周りの世界が変われ!」
っていうのが正解なのかも。
自分は、映画館の客席で、
ただ人生という映画を見ていて、
自分はただただ、席に座って、
前に映るスクリーンを見ているだけ。
何か行動を起こしても、
物語がどうこう変わるわけでもない。
ただただ、ストーリーを眺めているだけ。
ストーリーは、もう再生ボタン押したら
映画を入れ替えたりできないし、
それがある程度、変えられない「運命」みたいなものなんだと思う。
起承転結があり、
ずーっと場面が移り変わっていくし、
いつかは終わりがあるし、
退屈な場面は、席で寝ていればいいし、
見苦しい部分があっても、ずっと続く訳じゃないし、
とにかく自分で行動を起こしたり、何かするんじゃなくて、
目の前のストーリーが勝手に進んでいくのを、
スクリーンの前で、座って楽しんで見ていればいいんじゃないかなぁ。
自分で道を歩く。じゃなくて、
自分はここに座っていて、スクリーンの映像で道が開けるみたいな。
まぁ、こんなことを考えても、答えはないんだけど、
自分は変わらない。ここにいる。
現実の世界の方が、変われ!
って思って、
映画館の、一番後ろの客席の方から、
じーっと腕組みして見ていようと思う。
自分はただ客席に座っているだけで、
ストーリーは自分の力で何も変えられない。とは思いつつ、
『祈り』の力というのは、10%くらいは、影響されていると信じたい。