死んだらあかん理由。奇妙な夢。

昨日、仕事前にうたた寝していて、

目が覚める直前に、



「死んだらあかん理由。1つ目。」

って、いきなり夢みたいなメッセージが降ってきた。


すぐに分かった。

たしか、おとといのブログで、

1年間に支払った税金を計算すると、恐ろしすぎて
何のために働いているのか分からなくなる。

何のために生きているのかも分からなくなる。

いや、これを考えだすと危険だから、
やめとこ。


・・・って書いていたんだ。
それで、その日は

洪水で流されて、死ぬ直前の夢を見た。


だから、

こんなメッセージが降ってきたんだ。



ちなみに、「死んだらあかん理由」の内容は、こうだった。

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毎日食事をして、

ほぼ毎日のように、肉や魚を食べる。

自分が生きるために、

今日まで何千、何万匹の鶏、豚、牛、魚たちの命が犠牲になってきたのか。


自分のために犠牲になった

動物や植物の命の分まで

責任を持って生きなければならない。


って言葉だった。

なるほど。

料理するときに、

いただきます。ごめんなさい。感謝します。

という気持ちはいつもあるけど


自分がふと、生きることに疑問を持ったときに

こんな考えを思いつかないであろう、

意外な視点からの答えだったので、


明らかに自分の脳ではなく、

どっかから飛んできたメッセージだなぁ、これは。

と思った。



そういえば、最近

地域の刃物屋さんに行き、ちょっと高級な

そのお店の職人さんのオリジナルの包丁を買ったんだけど

名入れ無料だったので、自分の名前を入れてもらった。


さすが、市販のものとは別格!

ものっっっすごく良く切れる包丁で、

作った職人さんの魂が込もっていて、ものすごいオーラ。

そこに自分のフルネームを漢字で刻印してもらったことで、

肉を切るとき、野菜を切るとき、

この命を私〇〇〇がいただきます。

と責任を持って扱うような、

何だか新しい包丁をまるで芸術品のようにして何度も眺めながら、

料理をする度に、そんな風に思うようになった。


包丁って、実はものすごく神聖な神具のようなもので、

料理って、命を扱う神聖な儀式のようなものなんだと思うなぁ。
たぶん、本来は。

そんな風にして、大げさに言うと料理や食事を神事のようにして

毎回の食事に感謝すべきなんだろうなぁ。

生きることに疑問を持ったときに、

このことをふと思い出そうと思った。

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