地球環境と将来のことを考えた。

とある映画を見た。

物に溢れかえった時代が終わり

荒廃した砂漠に、ゴミの山。

かつて人々が簡単に捨てた物を、生き残った人間が奪い合って生きる時代になり

貴重な水源地は権力者が独占し、

拾い集めたガラクタの中から、シャンプー、バッテリーや、ケンタッキーのウエットティッシュなどまで使えるものは高額で取引される。

旅の途中、息絶えた人から、着ている洋服や靴を脱がし、そしてカバンの中の水を奪う。

人間による自然破壊で、地球を守っていたオゾン層が破壊され、有害な紫外線などにより人々は地上に住めなくなり、地下で暮らしている。みんなサングラスをかけている。

動物や植物は絶滅して、生き物もいない。食べ物もない。

ただただ、かつての人が捨てたゴミの山が、砂漠に点々と山をつくっている。

そんな未来を描いた映画だった。

物に溢れかえった世界、使い捨てのように物を生産してゴミにする時代。

人々を生かしてくれた木は伐採され続け、山がどんどんなくなっていく。

その木で作られた家たちは、たった数年後に少子化により廃墟となり、ゴミとなる。

温暖化による台風や地震や津波で、海に流れるゴミとなる。

工場からの排水、家庭からの洗剤の排水、洋服をつくったり洗濯したりする上で、大量に川や海に流される化学繊維。染料。どんなに浄化システムが高度になっても汚れていく海。

排気ガスで曇った空気。電車や車の騒音。

ゾンビのようにスマホを見て歩く集団。

インスタのために料理を作り、インスタのためにお店に行き、インスタのために旅行に行き、インスタのための友人を作る人々。インスタやブログのために生きているのか。。。

地球の資源にも限りがある。そして、命の時間にも限りがある。あっけなく突然その日が来るんだろう。

地球の資源、そして命の時間は、どんなにお金を積んでも戻ってこない貴重な物だ。

再生不可能になってしまう前に、

どうか未来を生きる子供たちのために

豊かな自然と、綺麗な水と、澄みきった空気が戻り、安全でキレイな街になりますように。

大量生産され、数年でゴミになる消費ではなく、

かつて昔の日本の職人さんが残してくれた伝統技術のように、心を込めて作られた物を大切に何十年も使う時代。洋服も料理道具も、シンプルにたった一つを大切に使う時代。

そんな時代が来れば、モノを買ってはゴミのように捨てる時代が終われば

働いても働いても豊かにならない感覚はなくなるだろう。

数年でゴミになる物のために働き、環境を破壊して地球を汚しながら生きているのだから。

ネットの上に大量に溢れかえるニュースや情報。

これも、ただただ不快になるニュースばかりで、大切な命の時間を無駄に消費してしまう。

本を読んだ知識は、人生を良くするが、毎日毎日悪いニュースを見ても、ニュースには生産性がない。翌日には心を不快にするゴミの記憶が増えるだけ。ただ気分が悪くなって、時間を無駄に消費するだけ。

災害や政治などの社会情勢は適度に知るべきだけど、事件や事故、芸能人のニュースを毎日見せられて、自分の人生にプラスになることがあるだろうか。

その時間、もっともっと他に楽しい時間の過ごし方があるはず。

犯罪、芸能人の不祥事、ネットニュースになって、何十年・何百年とネットの中から情報が消えずに残り続ける時代。ある意味恐ろしいなと思う。

本人は自業自得にしろ、子供や孫の代まで、そのニュースが永遠に残る。

これからの時代は、会社でも個人でも、「才能」や「努力」ではなく、とにかく圧倒的な「人間性・精神性」「信頼」で評価される時代になってくるだろう。

そして、下に落ちていく人と、上に上がっていく人と、極端になっていくと思う。

ある意味、今の時代は、精神性の高い人とモラルの低い人間が共存しているから、不快だったり生活に不安や恐怖があったりするけれど、

これからの時代、両極化がさらに進み、精神性の高い人の近くには、もうモラルの低い人間は近寄れなくなくなる時代がくる気がします。つまり、自分の精神性を高めれば、今よりもっと快適な世界がくるということ。

例えば、高級住宅街の高級マンションに、ゴミを分別せずに共有スペースを汚す人や、部屋は散らかり、水回りは汚く、車は汚れ、家賃や支払いを滞納するような人は、住んでいないように。

テクノロジーや科学も進化しているし、地球の誰もが良い未来を望んでいるはずだから、

きっといい未来になると信じよう。2019.11

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